出張講演 2020年

「国産ペニシリン創世期の話題」

(2020年12月、東京都)

神奈川工科大学 名誉教授
松本 邦男 先生

講演風景
(講演風景)

(講演報告)

  • ペニシリンとは、アレクサンダー・フレミングによって、1929年世界で初めて発見された抗生物質で、細菌細胞壁の合成阻害により効果を発揮するため、細胞壁をもたないヒトの細胞にはほとんど副作用を示さない優れたくすりである。
  • 1941年フローリーとチェインにより、ペニシリンの効果が臨床的に確認され、医療への実用化への道が開かれる(ペニシリンの再発見)。
  • 遣独潜水艦作戦で、殆どの潜水艦が沈没、撃沈される中、伊号第八潜水艦だけが完全往復に成功し、ペニシリン情報を記載した「キーゼの総説」が奇跡的に日本に運ばれた。
  • 陸軍上層部は、サルファ剤の製造に続き、ペニシリンの開発も認めなかったが、英首相チャーチルがペニシリンにより一命を取り止めたという新聞記事(後に誤報と判明)で一転して、1944年ペニシリン開発を命令し、陸軍軍医学校の下に、第一線で活躍している医学や農芸化学などの研究者達が科学動員されてペニシリン委員会(主宰者:稲垣克彦軍医少佐)が開催され、国産ペニシリン開発が始まった。
  • 稲垣の見事な旗振りの下で、梅澤濱夫をはじめとする研究者達は、戦時下という厳しい環境にも関わらず、科学者としての使命感をもち、個人の名誉や利害を超えて共同研究に取り組み、わずか9か月という短期間で国産ペニシリン(碧素)開発を完成させた(1944年10月)。終戦までに、ペニシリン開発に成功した国は、イギリス、アメリカ、日本の3か国のみであった。
  • 稲垣は、ミルク工場が、ペニシリンの大量生産にそのまま利用できるのではないかと考え、森永食糧工業(株)に依頼し、ペニシリンの大量生産が始まり、早くも1944年12月にペニシリン生産に成功した。
  • ペニシリンの使用は民事よりも、軍需を優先していたが、東京大空襲の被災者や原爆被爆者の治療にも用いられた。
  • 国産ペニシリン開発の戦後は、ペニシリン工業が平和産業として戦後復興の原動力となり、日本をその後の抗生物質大国に導き、ノーベル生理学医学賞を受賞した大村 智博士のイベルメクチンの開発に繋がった。
  • 日本感染症医薬品協会所有の唯一現存する碧素アンプル(内藤記念くすり博物館にて常設展示)が令和元年9月10日に、国立科学博物館の重要科学技術史資料に登録された。
  • 相澤 憲のペニシリン開発の回想に、「豊かな条件に恵まれた資金も資材も手には入る整った環境でなくとも、みんなが本当に心から協力し、お互いにわだかまりもなく、閉鎖性を捨て、研究成果を公開して連携し共同研究が出来たからです」とあり、「国産ペニシリン開発」の歴史は、今、私たちがすべきことを一緒に考えましょうと教えてくれています(国産ペニシリンの温故知新)。
    (追記:稲垣と梅澤は、国産ペニシリン開発の推進者として尽力し、稲垣は、「日本のペニシリン開発者の父」と言われ、梅澤は、戦後の抗生物質の学界ならびに産業界を牽引し、抗生物質の発展に多大なる貢献をした。)

「ノロウイルス・インフルエンザの老人保健施設での予防対策」

(2020年2月、神奈川県)

聖マリアンナ医科大学感染症学講座 教授
國島 広之 先生

講演風景
(講演風景)

(講演報告)

標記の内容で講演する予定であったが、國島先生が急遽準備され、今、世界的問題となっている「新型コロナウイルス感染症」についてメインで講演された。分かりやすく、とても興味深い内容で職員の方は熱心に聴講し、質問も多く、いい講演となった。